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山形のうまいもの

日本なし|収穫時期:9月〜10月

伝統と風土が育てる
瑞々しい「なし」

日本なし

鳥海山の恵みを受け
250年以上の栽培の歴史

 山形県では、なし栽培は古くから行われ、250年以上の歴史を誇る。産地はいくつかあるが、「刈屋のなし」を抜きにしては語れない。ところが現在、「刈屋」という地名は、どこを探しても見つからなくなってしまった。
 「ここから近い、畑になっている辺りが昔は『刈屋』という地名だったんだ」とは、酒田市の北部、旧本楯村豊川地区の生産者。「この辺りは鳥海山の恵みのおかげでね。日向川が、鳥海山のブナの養分を含んだ土壌を運んできて、それがたい積した最高の土地なんだ」と語ってくれた。つまり、旧刈屋を含むこの周辺一帯こそ、伝統を現代に引き継ぐ名産地というわけだ。
 刈屋のなしは1870年ごろから産地化され、当時苗木の代金は炭やナタネと物々交換。「赤龍」「土佐」「三吉」などの品種だったという記録も残る。1900年頃、「長十郎」が導入された。この後、刈屋は「味の良い長十郎の産地」として一気に人気爆発。その味を決めたのが、やはり水はけの良い肥えた土のおかげだったとされる。同時に、人々がなし栽培に傾けた情熱も並大抵ではなかったようだ。山形県人は何にでもまじめに取組み、しかも他人の真似事はしないという傾向がある。山形県のなしは、こうした県民性により「量より質」の折り紙が付いたものといえよう。
 日本なしの栽培品種は昭和40年代まで「南の二十世紀、北の長十郎」といわれ、二強時代が続く。いずれも、日本原産のヤマナシから発達したものだ。山形県はもちろん、長十郎で勝負をかけてきた。

摘果によって、
きめの細かいち密な果肉に

 しかし世代交代はいたしかたなく、昭和50年代になると「幸水」「豊水」「新水」の「三水時代」が当地にもやってくる。やがて、新水は生産性や価格がとれにくいことから淘汰され、現在は果肉がち密で甘い中生種の幸水と、多汁で酸味と甘さのバランスがいい豊水が主流となった。さらに晩生で味の良い「南水」や「あきづき」も有望株。品種は変わっても、伝統と風土に育てられた味の真髄はかわらない。
 もぎたての豊水をごちそうになった。したたる果汁で手を濡らしながら口に入れると、その美味しさに思わず「う〜む!」。ほのかな酸味が甘みを増幅させ、奥に淡い香りが満ちている。さくっとしていながら、しっとり感があるのは、果肉の細やかさと水分が絶妙に調和しているからか。
 丹念な土づくりから始まり、受粉は綿棒を使い一つ一つ手作業で行うなどと聞けば、やはり作り手の熱意が味に生きることを確認できる。人工受粉の後30日以内に摘果して余分な実を落とすが、この時点でなしの実の細胞数が決まるというのも面白い。数を制限することで、果実の細胞数が多くなり、きめの細かい、ち密な果肉になる。
 秋の日を受け、たっぷりと太った実は、いかにも誇らしげだった。

幸水・豊水

刈屋では「幸水」「豊水」が主力。鳥海山のブナ林の養分が川によって運ばれ、昔から良い日本なしを産していた。

豊水

見事に実った「豊水」。はちきれんばかりだ。実にたっぷりと栄養がまわっている様子。糖度も高くて甘い。

DATA

主な産地

酒田市・鶴岡市・ほか

主な品種と収穫時期

主な品種と収穫時期

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